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入院15日目(5月21日)

(4.5日でICUから一般病棟に戻ったものの、高血圧」、高熱が続き、病院にいっても寝ていることが多かった)

一般病棟に移って5日目。お見舞いは解禁になっているのですが、私の都合もあり、今日がはじめてほかの方をお迎えする感じに。

吉祥寺のSさんと荻窪のNさん。
Nさんは八王子に詳しいかただし一度店に来てくださったこともあるんですがSさんは八王子は初めてだったとか。ありがとうございます。

昨日「お見舞いは何を持っていったらいい?退屈だろうから本とかゲームとか」
といわれてしまったけれど、正直そういうものが楽しめる頭の状況じゃないみたい。
(私が大きな字で書いた手紙も読んでくれていないようだったし)
せんせいのおともだちだしがっかりさせちゃうかもなあ、と思ったけれど
お見舞いに来てくださることで先生も元気出るかもしれないし、きていただくことにしました。

朝から書類の申し込みなどで役所に行ったり(なんとかなった。。。)した後病院へ。
昼過ぎの時間帯がよかったのか何日かぶりに起きている先生に会えた。
まず携帯とスマホを持ってきてというのはかわっていないけれどふわふわと夢みたいなことを繰り返していた。
お話していてもわからないことが多いみたい。ショック。

そろそろお二方がくるはず、という頃なんだか手を離してくれなくなってしまって、談話室でお待たせしちゃった。(すいません)

先生はお二方の顔はわかったみたいで手を握ってお礼を言っていた。よかった。

お二方はそのあとお店にも来てくださってちょっとおはなしできて。ありがとうございます。お花屋にふさわしくない二人。。。。のようなw

入院3日目(5月8日)

面会時間を間違えて呆然とICU部屋の前で立っていたら中に入れてもらえた。(ばかすぎる)
昨日は寝ていたけれど先生は起きていて目をきょろきょろしてご飯を食べさせられていた。

おきてる。覚醒まで2.3日かかるかもって話だったけど。
声はかけてもいいそうで話しかけてみた。

右手を握り、「せんせい。あやこだよ」といったら
動きの鈍い目を輝かせてこもる声だけれどはっきり
「あやこにたのみがある」といつもの調子で話し始めた。
びっくりしてその場で泣いてしまった。こんなにはっきりしてるの?うそ。ありがとう。うれしい。
「まずひとつなんだけれど、ペットボトルのお茶がほしい。500ミリね。次にメガネ。僕のPC横の
硬い黒いメガネケースに予備のめがねが入っているからそれ。メガネがないと不自由で。」
うんうん。とうなずいた。

せんせいはいつでも携帯を首から提げていて、小銭入れと印鑑がくっついている。鍵もついている。
ICUでは無論はずされて私が持っているんだけれど。
せんせいは手を動かして携帯を探していて
「携帯も探してきて。黒い紐がついていて。知ってるよね。ないと不便で」
「隊長から(警備の)次のシフトのメールが入っているはずだから確認しないと」
ともいっていてやっぱりまだ認識能力は低いみたい。
会社にも隊長にもしばらく休むと伝えたから、というときょとんとしていた。

「ここはどこだかわかる?」ときいたら
「病院と聞いたけど」とはっきり答える。
「先生倒れちゃったの。早く元気になろうね」っていったら
「たおれた、かー」といっていた。
せんせいのツイートは私が家に帰る5時間ほど前で止まっている。
内容は「高尾にはイージーパンツがない」

「ね、イージーパンツは買えたの?」と聞いてみた(結構難易度を上げたつもり)
「んー高尾になかったんだよね。だからほかにありそうなところ探したの。ドンキいって、京王ストアの2階にいって。ちょっと頭が痛いから休もうと思って家に帰ったらなんだか体が動かなくなったんだ」(ほぼ原文のまま)
少なくとも倒れる寸前の時系列まではっきりしている。倒れたすぐ前やあとはかなり記憶があいまいだと聞いたけど。
「でもどこで怪我したのかはわかんないんだよね」といっている。手術跡を怪我だと思っているみたい。でもめがねがないんだったら私もそんなものかも。

ご飯を食べさせてくれている方ともかなりおしゃべりをしている。
お酒がすきだの、タバコは火事が怖くてやめただの。いつもの調子で少しろれつ回ってないけれど。

ただ左の耳たぶをつねっても反応はなかった。やっぱり方麻痺なんだな。

こんなに話せて、と思ったらぼろぼろないてしまってせんせいに
「なに鼻水出るくらいないてんの」って笑われてしまったよ。

午前の面会はこれでおしまい

6月27日現在の海明寺裕

倒れたきじをアップして現状を書かないと、なんだかもやもやしますので。。。

手術は成功して現在左半身に麻痺が残るものの会話はでき意思の疎通も良くはかれます。
移動は車椅子。
リハビリ病院でリハビリに励んでいます。

病院ご飯は大盛りにしてもらっているみたいでびっくりします

入院2日目 緊急手術

11時からの院長の見立て前にほぼ朝一で病院に呼ばれる。だったら泊まっていてもよかった。

先生が倒れていたマンションに一人でいたって何もできなかったんだから。

あわくって連絡してしまったために母も来てくれる事になった。越谷からだから到着は11時くらいだ。

挨拶もそこそこに始めて会う院長先生のお話を聞く。

前夜見せてもらった頭の中の出血MRI写真をみながらのお話。
「出血は止まっています。しかし、昨日搬送時には意識がありましたが今は昏睡状態です。このまま手術をなさらなければお亡くなりになられます」

たぶんどーっと泣いてしまったようで、落ち着くまで看護婦さんが付き添ってくれていた。

「手術なさいますね?」と言う答えにやっとうなずき、部位としてはわるくないから手術はむつかしくない、成功するだろう。ただ麻痺は残ると思う。と昨日された説明を改めてされて、待合室で待つことになった。

いって帰っても含んで大体4時間程度の手術とのこと。
手術前にはあわせてくれると言うので待っていたのに、目の前通り過ぎてがらがらーっといってしまった。ひーどーいー。

でもせんせいは完全に眠っていて酸素をあてがわれていた。昨日はうつらうつらだけど今日は完全に寝ていて。。。いつもと何も変わらないようだった。

手術室にはいってしばらくして母が来た。
いろいろあわくって、いろいろ話してしまう。いつも黙っていたこと。今後のせんせいのこと。
麻痺が残ったらリハビリで辛抱強く対応しなければならないこと。

そして私が今楽しんでやっている空間は介護しながら続けられるほど甘いものではないこと。
親の前で泣いたことなかったけれど我を忘れて泣いてしまって。申し訳なかった。
でもこの日はしょうがなかったのかもしれない。

説明だけで入院になるかもしれないと言うことで午前だけしめる予定だった店は一日休業となった。告知を店にすることができなかったので、母が看板を立てて来いという。
お言葉に甘えてちょっと店に行く。

店に行くとやはり立て込んでしまってなかなか病院に戻れない。。。。
病院最寄り駅に着いたときに手術から戻ってきたとメールが入った。
院長先生の説明は母が聞いてくれた。ありがたい。

きれいに血はとることができ、成功ですとのこと。

手術跡は針で止められていて化膿具合を見るために透明テープで止めている。痛々しいけれどこれでよくなるんだ。

全身麻酔のあとなので行った時と同様ねているけれど。きっとこれからよくなるんだ。そう信じたい。

相変わらずICUは付き添いができないので。母と二人でお話をして。解散した。

緊急搬送 入院初日

5月6日の月曜日。
週末に控えた母の日の膨大な作業を泊りがけて作業しようかなと思っていた。

途中で本日お通夜の情報をいただいたしたしいかたのご実家がわかり(最寄り駅が一緒)じゃあ、
お線香あげにいこうかな?と思った。お世話になっているしそれくらいは。。。家人が倒れるのは何しろつらい。ある程度覚悟はあったと言う話だけれど・・・・・

この日お休みのせんせいはいろいろ買い物したりいろいろ遊びに言ったりしていた様子。朝はよく寝たと書いていた。(ツイッターで逐一報告をしている)
明日からまたハードなんだろうしゆっくりしてほしいなと思っていた。
私のほうも詰めに入るし、まあ、今日はお線香上げるのを言い訳に早めに帰って明日に備えるぜ。

8時50何分かの電車に乗ってめじろ台に9時前につく。

せんせいは大体7時半くらいになると「今日の様子はどんな?何時に帰る?高尾で待ち合わせる?」と連絡が来るのが常だったけれどこの日電話はなかった。もちろん寝ているときもあってその場合は電話もないので特に気にしなかった。

家に着き、数珠を探してせんせいに声をかけようとしたらなーんだか変な格好で寝ている。
ロフトに上るはしごに手をかけていてなんだかつる下がってるみたい。
「どうしたの?」
声をかけると
「おきられないの。起こして。」
という。
休みだしてっきり飲みすぎたのかと思った。
「なに?呑んでるのー?そんなにべろべろに」
「呑んでないよ」
「呑んでなくてなんだって。。。わ。」
かなりの失禁。(小のみ)ズボンも脱ぎかけでひどい様子。
「ちょっとちょっと、そんなに腰立たないくらい呑んで・・・」
「呑んでないよ。起きれなくなっちゃったの」
起こしてくれと言うので手を引っ張る。せんせいはやせていて私は力があるので通常ぐっとひき起こすことができる。
が、この日は正体が定まらない。
「何で。。。腰?」
「よくわかんない。昨日のよいが残ってるのかな?明日仕事行くときも起こしてもらわないと。。。」
などと話す間に私は先生に完全に寄りかかられてまったく身動きできなくなってしまった。
やばい。
せんせいの携帯が近くにあり借りることにした。

110番救急車をよぶ。

時間はどれくらいだったろうか。先生に「もうちょっとで来るから。もうちょっとで来るから」と話しかけながら救急車を待った。
救急搬送の方は3人。
意識を確認し目にライトを当てているけれど私の位置からはなにをしているかよくわからない。

一人が私に声をかける。
「奥さんですね?わかっているだろうけど、これ脳みそだから」
え。
のうみそ。
ぎっくり腰とかじゃないの?

ソレからのことは頭がまっしろでいまいちよくわかんない。

先生が救急車で運ばれる最中何度か吐いたこと(家で一人ではいていたら・・・)おしゃべりをしているけれどどんどん眠気が強くなって眠りそうになるのを必死に起こしたこと。指先がどんどん冷たくなっていくこと。

手を握って涙を流すことしかできなかった。

まずMRIに入ると言うことでとってもらって「出血」と聞こえた。

しばらくして
右脳のだいぶ大きな部分に出血がある。薬で出血は止められたけれどこの量だと開頭手術になります、とのこと。ただ深夜で当直医しかいないので院長の指示を仰ぐとのこと。
位置は悪くないので手術は可能で命に別状はないだろうこと。そして左半分にはかなり麻痺が残るだろうと言うこと。

さっきまで考えても見なかったことばかり矢継ぎ早で言われて、呆然としてしまう。

ICUは付き添いができないと言うことで11時過ぎに家に帰った。
というかここどこ。山の中だし>_<
何とかタクシーを捕まえて北野駅へ。ぎりぎり終電に間に合い家に帰って呆然としながら涙を流した。

院長説明は明日の11時に予約が取れたが病状によってはもっと前に説明になるとのこと。
眠れずにボーっとしていたら6時ごろ8時半の予約に変わった。

本当は一刻も早く病院に行きたい。

6日は暖かく気持ちのよい日で、公園でビールを飲むのによさそうだった。二人でちょっと歩きながら呑む予定だった。いつだってそうだったのに。昨日だってそうだったのに。
何でこんなことになっちゃったの?
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プロフィール

小杉あや

Author:小杉あや
80年代半ばに(エロ)マンガ業界の片隅に入り、タニシのように生息。

思い出したようにまんがのことを語ったり、お花をいけたり(正業は花屋)しています。

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