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5月6日の月曜日。
週末に控えた母の日の膨大な作業を泊りがけて作業しようかなと思っていた。
途中で本日お通夜の情報をいただいたしたしいかたのご実家がわかり(最寄り駅が一緒)じゃあ、
お線香あげにいこうかな?と思った。お世話になっているしそれくらいは。。。家人が倒れるのは何しろつらい。ある程度覚悟はあったと言う話だけれど・・・・・
この日お休みのせんせいはいろいろ買い物したりいろいろ遊びに言ったりしていた様子。朝はよく寝たと書いていた。(ツイッターで逐一報告をしている)
明日からまたハードなんだろうしゆっくりしてほしいなと思っていた。
私のほうも詰めに入るし、まあ、今日はお線香上げるのを言い訳に早めに帰って明日に備えるぜ。
8時50何分かの電車に乗ってめじろ台に9時前につく。
せんせいは大体7時半くらいになると「今日の様子はどんな?何時に帰る?高尾で待ち合わせる?」と連絡が来るのが常だったけれどこの日電話はなかった。もちろん寝ているときもあってその場合は電話もないので特に気にしなかった。
家に着き、数珠を探してせんせいに声をかけようとしたらなーんだか変な格好で寝ている。
ロフトに上るはしごに手をかけていてなんだかつる下がってるみたい。
「どうしたの?」
声をかけると
「おきられないの。起こして。」
という。
休みだしてっきり飲みすぎたのかと思った。
「なに?呑んでるのー?そんなにべろべろに」
「呑んでないよ」
「呑んでなくてなんだって。。。わ。」
かなりの失禁。(小のみ)ズボンも脱ぎかけでひどい様子。
「ちょっとちょっと、そんなに腰立たないくらい呑んで・・・」
「呑んでないよ。起きれなくなっちゃったの」
起こしてくれと言うので手を引っ張る。せんせいはやせていて私は力があるので通常ぐっとひき起こすことができる。
が、この日は正体が定まらない。
「何で。。。腰?」
「よくわかんない。昨日のよいが残ってるのかな?明日仕事行くときも起こしてもらわないと。。。」
などと話す間に私は先生に完全に寄りかかられてまったく身動きできなくなってしまった。
やばい。
せんせいの携帯が近くにあり借りることにした。
110番救急車をよぶ。
時間はどれくらいだったろうか。先生に「もうちょっとで来るから。もうちょっとで来るから」と話しかけながら救急車を待った。
救急搬送の方は3人。
意識を確認し目にライトを当てているけれど私の位置からはなにをしているかよくわからない。
一人が私に声をかける。
「奥さんですね?わかっているだろうけど、これ脳みそだから」
え。
のうみそ。
ぎっくり腰とかじゃないの?
ソレからのことは頭がまっしろでいまいちよくわかんない。
先生が救急車で運ばれる最中何度か吐いたこと(家で一人ではいていたら・・・)おしゃべりをしているけれどどんどん眠気が強くなって眠りそうになるのを必死に起こしたこと。指先がどんどん冷たくなっていくこと。
手を握って涙を流すことしかできなかった。
まずMRIに入ると言うことでとってもらって「出血」と聞こえた。
しばらくして
右脳のだいぶ大きな部分に出血がある。薬で出血は止められたけれどこの量だと開頭手術になります、とのこと。ただ深夜で当直医しかいないので院長の指示を仰ぐとのこと。
位置は悪くないので手術は可能で命に別状はないだろうこと。そして左半分にはかなり麻痺が残るだろうと言うこと。
さっきまで考えても見なかったことばかり矢継ぎ早で言われて、呆然としてしまう。
ICUは付き添いができないと言うことで11時過ぎに家に帰った。
というかここどこ。山の中だし>_<
何とかタクシーを捕まえて北野駅へ。ぎりぎり終電に間に合い家に帰って呆然としながら涙を流した。
院長説明は明日の11時に予約が取れたが病状によってはもっと前に説明になるとのこと。
眠れずにボーっとしていたら6時ごろ8時半の予約に変わった。
本当は一刻も早く病院に行きたい。
6日は暖かく気持ちのよい日で、公園でビールを飲むのによさそうだった。二人でちょっと歩きながら呑む予定だった。いつだってそうだったのに。昨日だってそうだったのに。
何でこんなことになっちゃったの?